小倉城の歴史
1602年、細川忠興が約7年をかけて築いた城。城の規模は全国でも5番目、西日本では姫路城に並び、熊本城の約2倍——九州随一の巨城だった。忠興は城を中心に城下町を整え、商工業の保護や外国貿易の奨励で城下を栄えさせた。1632年からは小笠原氏が234年にわたり居城とし、幕末まで小倉を治めた。1837年の失火、1866年の小倉戦争で天守を失いながらも、1959年に市民の手で再建。いまふたたび城下にその姿を見せている。
毛利氏が築城に着手
細川忠興が本格築城(約7年、1609年頃完成)
火災により天守焼失
天守を再建、現在に至る
天守閣のみどころ
唐造りの天守
4階と5階の間に屋根の庇(ひさし)がなく、5階が4階よりも大きい——全国でもめずらしい「唐造り」の天守。全5階にエレベーターを備え(2019年改修)、どなたでも展望階までのぼれる。
石垣は足立山系の自然石を積み上げた野面積み(のづらづみ)。荒々しくも堅牢な築城当時の技が息づき、石には「卍」の刻印も残る。
各フロアのご案内
展望・キャッスルカフェ&バー
城下と関門海峡を一望。日中はキャッスルカフェ、土曜の夜はキャッスルバーに。天守の頂でお茶やお酒を愉しめるのは全国でもここだけ。
宮本武蔵と佐々木小次郎
武蔵の木刀・小次郎の愛刀を実物大で展示。巌流島の決闘を再現したフォトスポットも。
細川氏・小笠原氏の歴史
細川忠興の甲冑(復元)や、往時の天守を再現した模型を展示。幕末の「小倉戦争」を紹介する映像も。
小倉城シアター・衣装体験
俳優 草刈正雄のナレーションによる約10分の映像シアター。武将・姫の衣装体験や流鏑馬(やぶさめ)ゲームも。
着見櫓(つきみやぐら)
沖を見張った物見の櫓
沖からの通航船を監視するために設けられた櫓。木造三重二層三階、延べ床面積は約330㎡におよぶ。城下と関門の海を見晴らす、往時の小倉城の「目」のような存在だった。
城内の塚
城内には、道具や自然への感謝を込めた塚・記念塔が点在します。毎年10月の小倉城まつりでは花・筆の供養が行われます。
花塚
昭和36年建立生け花に使った花を供養する塚。毎年10月の小倉城まつりで花の供養が行われる。
茶筌塚(ちゃせんづか)
昭和35年建立茶道で使い古した茶筌を納め、供養する塚。
筆塚
昭和40年建立使い古した筆を供養する塚。小倉城まつりで筆の供養が行われる。
白洲灯台岩松翁記念塔
昭和38年建立私財を投じ響灘・白洲に灯台を築いた岩松助左衛門を顕彰する記念塔。
門跡めぐり
往時の小倉城には多くの門があり、その跡が城内・城下に残ります。役割ごとに通行できる人が定められていました。
大手門
城の玄関口。立派な巨石を多用した、正門にふさわしい門。
槻門(けやきもん)
藩主・公儀役人のほか、家老や主な寺の住職のみが通行を許された門。
鉄門(くろがねもん)
中老以下の一般武士が通行。現在の左半分が往時のもの。
多門口門
本丸から北の丸への通り道の門(多門=長屋の意)。
西ノ口門
小倉城の裏門。二の丸から本丸・松の丸へ入る門。
虎ノ門
正門の一つ。天守から見て寅の方角にあることが名の由来。
大手先門
現在の北九州市役所と小倉城庭園の間にあった門。ここをくぐり大手門へ向かった。
北口門
下屋敷(現・庭園)から北の丸へ行く門。八坂神社参道の門を入って右側が門跡。

槻門と鉄門の間の石垣下部には、築城時の家臣の家紋という「卍」の刻印が残ります。石垣めぐりの際に探してみてください。
